FC2ブログ

2018-10-24

その12-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

■これからしばらく「ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは」という本を訳してみたいと思います。
表紙は下記の写真となります。(翻訳の許可は原著者からとっています。)

180913てのひら

181024supawan.jpg

しかし、間違っていません。何故なら、これは、言わば、森で迷った男が不死の甘露(アムリタ)の池を見つけたという「結果」が最初に来た男の経験だからです。もし、元々「虎」ではなかったという真理を探求する最初の人がいなかったら、ずっと末永く、私達は「虎」のように、愚かで暗闇の中にいるというブッダの説法を聞けなかったでしょう。ブッダの説法は、まず、結果を見て、続いて結果に対するアプローチをしているのです。
従って、「最初の人」がやって来て、人生の最大の目的は何かと、私達に真実を説法したことをしっかりと記憶しなければなりません。ブッダとは、人々に真実の説法にやってきた「最初の人」なのです。初転法輪の説法は、ブッダ発見したことを人々が理解させ、関わるようにさせた基本の説法の最初であり、最初の人生の地図だったのです。このことで、ブッダが教育者としての思考能力を存分に使わねばならない契機となりました。ブッダは、その時代の知性的な人物の1人と考えられます。そこで、ブッダは、最初の人生の地図を書いた後で、人々が何を欲しているのか、どのように説法を受け取りやすいのか分析しました。ブッダは、45年間、常に人生の地図を書いてきました。その期間、人々や神々に説法してきたのです。涅槃へ行くブッダの説法の地図は、道に迷った人が少なくとも歩めるように絶え間なくより改善し詳細にしたものでした。非常に詳細な人生の地図として大四念処経があります。
 ブッダの覚りを認め、ブッダに従った弟子達の修行プロセスは、涅槃に至る道程を実践することでした。不死の甘露(アムリタ)の池に行くために、森に迷ったことのある男が述べた地図に沿って歩くように、原因から結果を求めて歩みました。ブッダは、八正道に沿って歩まなければならないと言いました。それこそが、涅槃に至る説法、つまり、人生の地図だからです。
賢明な人は、ブッダが生まれてきたことが私達の人生に対しどれほど重要であるか、すぐに理解されることでしょう。もし、ブッダが説法を行う決断をした大きな慈悲がなければ、輪廻の中に彷徨う私達の人生は、さらに何十万年も暗闇の中にいたに違いありません。

この「タイ字新聞~」の記事を興味深く感じていただけたら、
アイコンにクリックをお願いいたします。
皆様からクリックとコメントが励みになります。
どうぞよろしくお願いします。


にほんブログ村 外国語ブログ タイ語へ
にほんブログ村
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
にほんブログ村

タイ(海外生活・情報) ブログランキングへ
スポンサーサイト

2018-10-20

その11-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

■これからしばらく「ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは」という本を訳してみたいと思います。
表紙は下記の写真となります。(翻訳の許可は原著者からとっています。)

180913てのひら

181016supawan02.jpg


物事の両極端は正しくない、すなわち、苦行や必要以上に食べることは不適切であると。これは、涅槃がどの方角にあるかを前もって方角を言っているのと等しいことでした。続けて、正しい行為は中道を歩まなければならないと述べました。もちろん、歩くときに道の真ん中を歩くという意味ではありません。それは、「正しい見解(正見)を持つ」から始まり、「正しい瞑想(正定)に集中する」で終わる、8つの実践徳目である八正道を意味します。
 話題を広げてから、ブッダは、四聖諦のテーマに入っていきます。話題を狭めていくプロセスです。何故なら、その時代の人々は、それぞれ、生老病死に打ち勝ち、いかに幸せになるかのすべを知る必要があったからでした。従って、四聖諦のテーマは、その時代、人々が本当に知りたいと関心があるものでした。何故なら、ブッダは、出家僧のウパカを教訓として、人々が関心を示すことを話さないと、去ってしまうことがあることが解っていたのです。そこで、人々に興味のある事をテーマにして説法をしたのです。「「苦」があり(四聖諦の1番目)」、その「「苦」には原因がある(四聖諦の2番目)」という話題は、詳細を話しても人々の関心を呼ぶものでした。ブッダは、周辺の少し広い話題から説法することにしました。すなわち、「苦」の例として生老病死があることを話し、最終的に、欲望(煩悩)への執着について話しました。それは「苦」の詳細について話すことでした。
 「「苦」は滅することができる」という四聖諦の3番目まで来ると、ブッダは、すぐに発見した真理の話題に入っていきました。最高の真理の発見とは、人の命は宇宙のすべてに繋がっていることを意味します。ブッダは、その真理の状態とは「苦」を消しさった状態であると述べることで、自己に由来する「苦」の話題を宇宙合一の真理に重ねて説法したのです。その後、「苦」を滅する唯一の状態こそが、それ自身、最高の真理となり、さらに「「苦」を滅するまでのが方法」が、四聖諦の4番目の話となり、八正道の実践の話に繋がるのです。
四聖諦では、ブッダが「「苦」がある(四聖諦の1番目)」という結果を、「「苦」には原因がある(四聖諦の2番目)」という原因、四聖諦の3番目の「苦」は滅することができる」、四聖諦の4番めの「八正道の実践」の前に置いたことはと、明らかに見て取れます。科学では、結果の前に原因が来なければならないですから、異例のように見えます。


この「タイ字新聞~」の記事を興味深く感じていただけたら、
アイコンにクリックをお願いいたします。
皆様からクリックとコメントが励みになります。
どうぞよろしくお願いします。


にほんブログ村 外国語ブログ タイ語へ
にほんブログ村
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
にほんブログ村

タイ(海外生活・情報) ブログランキングへ

2018-10-16

その10-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

■これからしばらく「ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは」という本を訳してみたいと思います。
表紙は下記の写真となります。(翻訳の許可は原著者からとっています。)

180913てのひら

181016supawan01.jpg

つまり、覚りを得た者とは、すべてを知る者であり、覚醒した者であり、祝福を得た者を意味し、ブッダの真の特徴を示していました。いずれにしても、ウパカに対して話したことは、ブッダが解脱したとを初めて世に知らせる内容でした。こうする前にすでにブッダが予想したとおり、説法しても信ぜず、代わりに舌を突き出され、更に大いに笑いものになったのでした。
 この出来事は、人々に説く説法の方法を、もう一度ブッダに思い巡らせたのかもしれません。この出来事こそ、ブッダが人々に最高の教えを理解させるには、何をいかに説法すべきか、思考を巡らし始める契機となりました。ブッダの説法プランは、森から出てきた男が、他の人々も不死の甘露(アムリタ)の池に行けるように地図を書くようになったきっかけのようなものでした。つまり、ブッダの説法のすべては、人々が涅槃、あるいはブッダ自身の覚りを知る助けるになる道程の地図なのです。少し異なるのは、説法が人生の地図であることです。このよく練られた最初の説法行為は、後に初転法輪と呼ばれ、初めて仏教の教義を人々に説いた出来事になります。出家僧のウパカと別れた後、ブッダは、かっての修行仲間の五比丘に会う前に、説法についてよく考えて説くことを練り、周到に準備したに違いありません。解脱する条件を知ることは、不死の甘露(アムリタ)の池がどこにあるか知ることと同じです。他の人がそれについて知るように説くには、まず、広大な周辺について話す必要があります。それから、少しづつ、狭めていくのです。もし、スワンモック寺(プッタートとい偉大なタイの僧が瞑想修行のために開いたお寺)に行くのでしたら、まず、南の方角に行かねばなりません、スラタニー県に行き、チャイヤー郡まで行き、チャイヤーから東の道路に沿って行きますと、スワンモック寺が右手に見えますと、人に説明するようにです。あるいは、ある男が、不死の甘露(アムリタ)の池は森の東の方向です、ですから西や北や南の方向に言ってはいけません、何故なら、方角を間違うと、後で引き返したとしてもとにかく時間の無駄になりますと、人に説明するのと同じです。
従って、初転法輪の説法では、四聖諦の話題に入る前に、ブッダは、まず、次のことに注意するよう述べました。


この「タイ字新聞~」の記事を興味深く感じていただけたら、
アイコンにクリックをお願いいたします。
皆様からクリックとコメントが励みになります。
どうぞよろしくお願いします。


にほんブログ村 外国語ブログ タイ語へ
にほんブログ村
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
にほんブログ村

タイ(海外生活・情報) ブログランキングへ

2018-10-14

その9-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

■これからしばらく「ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは」という本を訳してみたいと思います。
表紙は下記の写真となります。(翻訳の許可は原著者からとっています。)

180913てのひら

181014supawan02.jpg

-出家僧よ、あなたの肌はみずみずしく、身体は白く明るく澄んでいる。どなたの流派に属しているのか。どなたがあなたの師なのか、どなたの名高い教えに接しているのか。

ブッダは、彼の人に求められるまま正直に、真実に即して答えました。

-私は、自ら覚った者であり、すべての欲望(煩悩)を征服した者である。自分自身を十分に知ったものであり、知って把握した者である。多くの俗世間の事柄に関わろうとしないつもりだ。私は、欲望(煩悩)を解脱し、自分自身の死生輪廻のカルマを断った。このようであるから、私の師である人を名指すことはできない。世に私のような人はおらず、私と比較するような人はおらず、阿羅漢(最高の悟りを得た人)となった。私以上の師はなく、私一人が真のブッダであり、欲望(煩悩)の炎を消した者である。私の教えを広めるためにヴァーラーナシーに赴こうとしている。不死の教えを鳴り響かせんとしている。

出家僧のウパカは、まったく尊敬の念を示さずにブッダの言葉を聞き、次のように述べました。

-先輩よ、あなたは、最終的に解脱した勝利者でないのに、実にあたかも大きな事を言っているのじゃあありませんか?

覚っているブッダは、真実を語っていると答えました。

-そうでしょうね、先輩。師なくして、自ら無上を知り得た独覚なのですね。素晴らしすぎますよ。

出家僧のウパカは、嘲る口調で述べ、ちょっと舌を出し、頭を揺らして避けるように去っていきました。おおぼらを吹くと思いながらです。
実際のところ、ブッダは、真実以上のことは何も言っていませんでした。独覚とは、師なくして自らの力で覚った者の意味です。

この「タイ字新聞~」の記事を興味深く感じていただけたら、
アイコンにクリックをお願いいたします。
皆様からクリックとコメントが励みになります。
どうぞよろしくお願いします。


にほんブログ村 外国語ブログ タイ語へ
にほんブログ村
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
にほんブログ村

タイ(海外生活・情報) ブログランキングへ

2018-10-13

その8-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

■これからしばらく「ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは」という本を訳してみたいと思います。
表紙は下記の写真となります。(翻訳の許可は原著者からとっています。)

180913てのひら

181013pauwan.jpg

そのときは、自然の道理だけがありました。つまり、そこに「在る」という、言葉に出来ない在るがままの状態に対する認識だけがあったのです。まだ、涅槃という言葉が、生じていなかったかもしれない可能性がありました。そのとき、ブッダは、一人で解脱の無上の喜びを味わっていました。何故なら、誰かにこの教えを伝えようとは思っていませんでした。ガヤー地区の菩提樹の日陰に下で覚った後、ブッダは、溢れんばかりの心の十分な自由の状態を味合うために49日過ごしました。ブッダは、後に、この期間を解脱の無上の喜びを噛みしめた期間と呼んでいます。このとき、ブッダは、瞑想に入って無上の状態が非常に繊細で微妙であるのを観察し、欲望(煩悩)に覆われた普通の人が、あるがままに見ることは、尋常の能力を超えるほど、あまりに難しいと考え、我々が全身「虎」として呪われた人であることを、他の人は信じないだろうという配慮から、教えを説かないほうがいいという考えが浮かびました。しかし、何度も考えたあとで、様々な色の花があるように、人々には様々な知性のレベルがあると思い直しました。小さい頃から目にホコリが入っておぼろにしか見えない人でも、ブッダの無数の慈悲によって開眼するようになるかもしれないと。そうして、教えを説くことにしたのです。
洞察により、ブッダの師の2人は死去してしまったこと知り、覚りを開いた菩提樹から鹿野苑に向かう途中に、かつて一緒に苦行した5人の出家修行者のことを思いつきました。ブッダは、ウパカと名乗る一人のアージーヴァカ派の出家僧を通り過ぎました。ウパカは、非常に明るく澄んだ顔つきした修行者が通り過ぎるのを見ました。その威厳を備えた様子は、あまたの修行者と異なり、静謐で品位がありました。どんな人か知りたくなり、出家僧のウパカは、戻ってその若い出家僧に尋ねたのでした。
出家僧よ、あなたの肌はみずみずしく、身体は白く明るく澄んでいる。


この「タイ字新聞~」の記事を興味深く感じていただけたら、
アイコンにクリックをお願いいたします。
皆様からクリックとコメントが励みになります。
どうぞよろしくお願いします。


にほんブログ村 外国語ブログ タイ語へ
にほんブログ村
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
にほんブログ村

タイ(海外生活・情報) ブログランキングへ
プロフィール

Kodek

Author:Kodek
タイの社会・文化をタイ字新聞やタイ語の記事を通して理解しおうとするブログです。日本語で伝えるタイの情報にはどうしてもバイアスがかかってしまう。タイの新聞にはタイの新聞の「味」があります。おもしろおかしく紹介する風潮とは一線を画してタイ語の記事のおもしろさを伝えられればと思っています。

最新記事
最新コメント
リンク
月別アーカイブ
ブロとも一覧
フリーエリア