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2018-09-29

その7-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

■これからしばらく「ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは」という本を訳してみたいと思います。
表紙は下記の写真となります。(翻訳の許可は原著者からとっています。)

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しかし、人生の真の目的は何か、誰も本当に知らなかったのです。シッダールタ青年は、覚りを探求する集団に6年間、参加しました。命がほとんど危険になるまで、その時代にあった様々な修行方法を試行錯誤しました。その時代のインド社会で起こっていることは、森に入った男が森からの出口を見つけられないような状態でした。ですから、ブッダの覚りは、森に入った男が偶然、不死の甘露(アムリタ)の池に出会ったような状態、あるいは、本当のところ、この「虎」は「虎」でなく、普通の善良な人でああるという真理を発見したことでした。
ブッダの覚りとは、彼が自然の最高の真理を発見したことを意味します。宇宙の最後の境界を発見したようなものです。さらに北に行くことができない極北です。ブッダはこの状態を涅槃と呼びました。そこは、苦が完全に尽きる唯一の場所で、「虎」から人に戻れ、人生の牢獄から出られ、完全な心の自由が得られるところです。すべての人間はいつも新たに多くの問題に直面していますが、ここは問題が尽きることが直ちにわかるところです。
涅槃の状態あるいは最上の覚りとは、すでに元々人の心にある状態です。ブッダが生まれようと生まれまいが、いずれにしても、涅槃は元々あり、ずっとあり続けるものです。ただ、森の中のアムリタの池のように、以前、誰も見ていなかったし、発見したことがありませんでした。ブッダが誰も発見したことがないものに出会ったのは、素晴らしいことでした。ブッダの覚りは、他の思想家と異なる新しい思想のカテゴリーとして創ったものではないことを、知識ある人は理解すべきです。涅槃の状態に入るのは、まったく思考することと関係ありません。ブッダが思考を用いたのは、その後であり、教えを説き始めた後でした。



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2018-09-28

その6-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

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第2章 何故、原因の前に結果が来るのか

前の章では、私は、ブッダが人間に善いニュースをもたらした涅槃について、明確なイメージで理解できるように話しました。すなわち、私達は本当は「虎」ではないのに、仙人が「虎」に変えてしまったため、人生の目的が、人に戻る道を探し求めること、あるいは、人生の牢獄から出ることになったということです。
この章では、目的(結果)と方法(道程)を特に取り上げ、お話しします。ブッダの覚りは、彼が覚りのプロセス(道程)を会得する前に、覚りの結果を会得したことに特徴があります。このことは、知識ある人は誰でも、仏教の本当の核心を見るために、明白に理解しなければならない重要点です。
つまり、この涅槃というのは、ある男性がふいに偶然、森に入って、不死の甘露(アムリタ)の池を発見してしまい、思わず飲んで不死の命を得てしまったという風な、明確なイメージで受け取るほうがいいでしょう。男は、このアムリタの水のことを知ったことで、人々にもこの水は大きな益があると考えました。そこで、道なき道を跛行して、地図を作成し、アムリタの池に行く道を迅速に明らかにしようと探求します。森から出て、彼は、このアムリタの水のことを他の人々に話します。行きたい人々に地図を渡し、道を説きます。
ブッダが覚る前は、人間の社会は暗黒に満ちていて、事の道理や人生の目的、真理とは何か、本当に苦が焼尽するとは何か、そのためにはどうしたらいいかを、誰も知りませんでした。インドのその時代に生まれたブッダは、回り道をしながらも真理を追求しました。あるときは淫欲にふけり、あるときは自分をいじめ抜き、あるときは瞑想の平安の中で考察をしたりして。

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2018-09-24

その5-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

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話を聞いて道理を理解し、北に進む入り口で私を待つ選択をしたなら、自ずから、普通の人(衆生)から覚者への道を進むことを意味しています。自分自身の考えと気分によって行動する傾向のある衆生のように人生を送ることをしなくなることを意味します。衆生の原意は、欲望(煩悩)に即して行動することです。「虎」のように動物のように人生を送ることです。自分自身、覚者になることを選択するということは、新しい人生を送る方向に変わることです。私がこの著書や別の著書、特に「人生マニュアル」、「モラル」、「人生マニュアルとブッダの真理」などで示した道に沿った考え方を、始める必要がありますし、著書で示した考え方に即して考える努力が必要です。そうすることで、あなたの人生が変わっていくのを実感し始めるでしょう。欲望(煩悩)に即して行動しなくなるのです。これこそ、人生の牢獄から出る出発点となるのです。

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2018-09-23

その4-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

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これは、いわば、ベンガル「虎」から「豹」に変わりたいだけのようだと言えます。天国で天使や梵天の神々に生まれ変わりたいというのは、監獄の左側から右側に移動したにすぎないのです。監獄の右側に移動したことは、行いの善い罪人にすぎません。番人が、褒美で騙して、ほんの少し快適で幸せにさせ、監獄に居させるのです。巨大な監獄の右側に居ても、真の自由を享受したことになりません。
涅槃に行くために、ベンガル「虎」から人に戻ること、あるいは人生の牢獄から出るということは、誤解による選択では、行けないのです。涅槃は、宗教を信じるか科学を信じるかの選択ではありません。けれども、到達すべき最終目的になります。速く知れば、速く到達し、遅く知れば、遅く到達します。知らなければ、到達できませんし、今生が無駄になります。
以上のことを聞いたら、あなたは、今後、自分は何をすべきか知りたいと思うでしょう。私は、理解しやすいように比喩を使って話しますが、今、私が十字路の真ん中に立っている大勢の人々に人生の牢獄について話しかけているとします。続けて、人生の牢獄から出たいと欲する者は、すぐに北の方向に曲がり、まず、北にまっすぐ向かう出発点で待っているよう言ったとします。私は、あなたを涅槃に到着するように案内しようとしますが、人の群れに分裂が生じます。よく聞いて道理を理解すれば、すぐに北に向かう人もいるに違いありません。聞いて道理を理解しない人は、暗闇の部屋に座っている、あるいはサングラスを掛けている人と同じです。南に行くことを選んだ人は、涅槃に行くと聞いてすごく怖がった人です。行きたくないので、これからも人生の牢獄に居ることを選択するのです。東や西に行くことを選択した人は、天国に行くために、お布施をする人です。梵天様の国に行きたいのです。もし、あなたがその道を選ぶなら、私は、ガイドとして何もできません。自分自身で探って行くべきです。私の役目は、人生の監獄を出て涅槃にいくために、北に進みたい人達を連れて行くことです。

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2018-09-17

その3-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

180913てのひら

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あるいは、真の自由に向かうために人生の牢獄から連れ出す道筋を発見したことになります。これこそ、涅槃であり、苦が尽きた状態なのです。私は、現代に相応しい言葉「清浄」を使います。涅槃よりは耳になじむ言葉になるでしょう。
ブッダの悟りは、人類の最高のニュースであると見なければなりません。なぜなら、何時の時代でも人生の監獄から私達を連れ出すために、苦の消滅を知ることは、導かれて正しくその知恵を用いるときに、不死を知ることになり、それが、苦を消滅させた結果となるのです。
ところが、問題が起こります。善き人物が、自分は魔法を解く言葉を知っていると、ベンガル「虎」にこの良き知らせを述べ、「虎」にしばらく静かにしているようにお願いし、「虎」が元の人に戻れるように、魔法を解く言葉を唱え、同時に法力を具えた杖で身体を指し示しめようとしても、ベンガル「虎」は、はっきりと、それは真理ではないと述べ、自分は元からずっとベンガル「虎」だった、別の何かに戻る必要はないと言い返すのです。このように、ブッダの教えが必要でない人もいます。ブッダの教えは必要ない、人生の成功に対し重要ではないと考えているのでしょう。お金が十分貯めれば、成功したと考えるのもいいでしょう。また、宗教よりも科学の真理に信頼する人達がいます。宗教とは、確かめられない、馬鹿なことにうつつを抜かすものと考えています。このような人々は、暗い部屋に居続けているか、サングラスをしているか、門や窓をピッタリと閉ざしているかのようです。自分の人生に知恵の光が入ってくるのを許さないのです。すごく可愛そうな人達ですが、社会の大多数がそうであり、人として生まれながら、仏教に出会わず、もう一度、運良く人として生まれ変わり仏教に出会うまで、長い間、人生の牢獄にいなけれなりません。
天国に行くためにお布施を積むことを望み、運を信じ、天国で天使やブラフマーの神々に生まれることを望む人もいます。天国に行けば、気を病むことなく幸せで、苦難に会うこともなく過ごせるだろうと。

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2018-09-14

第220回タイ字新聞を読む会 IN 東京

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日時:2018年9月25日(火) 19:00-21:00
場所:カフェ・ベローチェ 田町店
都営 三田駅 A3出口 徒歩1分
JR 田町駅 西口 徒歩2分
会費:無料 (お茶代は各自)
内容:毎回の課題記事を読んで訳していきます。

≪課題≫
次回の記事:

แม่หลั่งน้ำตา ลูกชายหายไป 19 ปี จัดงานศพไปแล้ว แต่จู่ๆ โผล่กลับบ้าน
https://www.sanook.com/news/7502206/

②予備記事
อาชีพใหม่? พวกหัวใสอาสากดเงิน "บัตรคนจน" มีการหักหัวคิว เหตุยุ่งยาก-ไม่เข้าใจขั้นตอน
https://www.sanook.com/news/7503806/

「タイ字新聞を読む会」は、輪読会の形式でひとりひとり、和気あいあいと読んで訳していく形で会を進めています。タイ文字が読めることと辞書をひく根気があることが参加の前提条件ですが、どなたでも参加可能です。

興味があって参加ご希望の方は、事前にご連絡ください。会の進め方などを説明します。(コメント欄の投稿をお使いください。管理者にだけ表示を許可するにチェックを入れてください。)

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2018-09-14

その2-ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

これからしばらく「ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは」という本を訳してみたいと思います。
表紙は下記の写真となります。(翻訳の許可は原著者からとっています。)

180913てのひら

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すべては、真の自由に欠けているベンガル「虎」のメタファーなのです。たとえ、この「虎」がどこにもやすやすと飛翔して行くことができ、獲物を追跡し餌とし、また、他の動物が恐れているとしても(人だと大きな権力のある人物ですね)、この「虎」が、勇敢で、学識に満ち、いかなる世界もよく知っているとしても、自分がいまだ「虎」である真実から逃れることはできないのです。人生の真の自由な状態に戻ることができないでいるのです。真の自由な状態とは、寓話に即して言えば、元の人に戻るということですね。
現在、私達の状態というのは、人生の真の自由を失って、ベンガル「虎」の状態で、牢獄にいることに例えられるような苦の状態にいます。牢獄の中で生きるのは、当然、自宅にいるように幸せで快適ではありません。牢獄にいるため、人は考えすぎて苦を生じ、民族同士で戦って破壊することに至るのです。寓話は、世界の人々が人生の牢獄にいるといることを知らしめる教えです。
しかし、人は、この件で自分を助けることができません。何故なら、自分自身が魔法にかけられていることを知らないからです。どこを見まわしても、皆が大きな「虎」になっています。社会の大半の組織の人間も常態として牢獄に捕らわれていて、自分自身がベンガル「虎」であるように振る舞います。この真理を知る人こそが慈悲を持つ人なのです。慈悲を持つ人は、ベンガル「虎」でいるのは、魔法をかけられいるからだと知っており、ベンガル「虎」が、もう一度、人生の真の自由に出会うよう助けるために、探し求め、魔法を解く方法を発見したのです。
この男性こそ、シッダールタであり、その時代に彼は多くの師から真理を求めるために旅をし、自分の能力と統合することで、最終的に、魔法を解く方法を発見しました。すなわち、覚ってブッダとなったのです。ブッダが仙人の魔法を解く方法を発見したということは、ベンガル「虎」が人に戻ることを助ける道筋を発見したことになります。

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2018-09-13

その1ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは

これからしばらく「ブッダの一握りの木の葉 ―ブッダの核となる教えとは」という本を訳してみたいと思います。
表紙は下記の写真となります。

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それでは、まず第1章から。
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ブッダの一握りの木の葉
―ブッダの核となる教えとは―

第1章 ブッダは何を教えたか

仏教に興味ある人達の中には、きっと、悟ったブッダが4つの奥義を教えたと知っている者もいるし、さらにブッダは、天国に行くためのお布施を教えたという考える人もいるかも知れません。
私は、次の寓話を話すことで、自分の見解を明確に述べることになると考えます。
仙人が魔法の杖を用いて、ある男を一瞬の内にベンガル虎に変えました。大きな虎になったこの男を、今後、どうすることが一番重要だろうかと自らに問えば、仙人に問題の解決を請い、すぐにでも人に戻してもらおうと努力すると答えるでしょう。すべきことは1つしかありません、すなわち、すぐにアドバイスをもらって己を改め、まっとうな人に戻るというのが、私の明瞭な回答です。アドバイスをもらって己を改め、人として復活したこの人は、この「虎」というのは本当の虎ではなく、魔法にかけられて虎のような振る舞いをしたことを理解しています。「虎」になった人は、追い求めた結果、慈悲によって仙人のアドバイスによって、自らを改める要領を会得して元の人に戻れたのです。
この寓話は、仏教の核心となる内容を十分に含んでいます。すべての人は、人生の真実において自由を失っています。私達が遭遇している苦の状態は、それが、個人の苦であろうと、国レベルの、あるいは、世界レベルの社会の苦であろうと、すべては、真実の自由が欠けている大きな「虎」のメタファーなのです。

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タイの社会・文化をタイ字新聞やタイ語の記事を通して理解しおうとするブログです。日本語で伝えるタイの情報にはどうしてもバイアスがかかってしまう。タイの新聞にはタイの新聞の「味」があります。おもしろおかしく紹介する風潮とは一線を画してタイ語の記事のおもしろさを伝えられればと思っています。

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